「瑠璃の宝石」は27歳エンジニアに刺さった

雑記

27 歳にもなってアニメを見る

私は Yorsh, 27 歳。
そろそろ若いと言えない年齢である。

Only 27 まだ踊り足りない
LONELY NIGHTS - tofubeats

このときの tofubeats は 27 歳。
きっと、もう若くないと感じていた中で、まだまだ踊りたりねぇよ、ってことなんだと思う。

僕自身もそうである。

なので、アニメを消して、プログラミングをたくさん書こう。

そんな調子で生きていたら彼女の一人も居ない。
寄る辺はアニメ。

葬送のフリーレン, わたなれ, ぼっちざろっく, ダンジョン飯, mono...

最近のアニメはすごい。
根っからのオタクなので、Angel Beats にはじまり、かなりの本数を見てきた。
歴史が長くて、散々やり尽くされているだろうに、すげー適当だが 2020 年辺りから、なにか天井がぶち破られた感がある。
※気になって調べてみたが、2010 年のアニメとしては俺妹, 神のみ(バイブル), 刀語...名作である。ちゃんと気のせいだった。

とはいえ、なにか独特だな、という視点のアニメが多い。

  • 魔王を倒しに行く話ではなく、魔王を倒した後の話をやってみる。
  • アクションカメラを題材にしたアニメを作ってみる。
  • 死んでも大丈夫だからこそのヤバさ、みたいなものを演出してみる。
  • 吸血鬼の女の子と契約するかしないかプラプラしてみる。

やり尽くされた結果として、なにか天井をぶち抜いたんだと思う。

とはいえ、

  • 妹が鬼になったので、鬼のボスを倒しに行きます
  • ヤバい悪魔がいるので、ヤバい人が倒しに行きます

この辺の話は普通に王道として面白い。

瑠璃の宝石

瑠璃の宝石は、高校生の主人公(瑠璃)が大学生(凪, 伊万里)の指導のもと鉱物採集を通じて、学問の奥深さを学んでいくという話である。

僕自身は地学を本格的に学んだことはないので、「へぇ、そうなんだ」と思うことが多い。ただ、同じ理系の端くれとして工学を学び、今はエンジニアとして働いている身として、学問の「しんどさ」や「地道さ」には少しだけ共感できる。

作中で紹介される鉱物採集のアプローチのひとつに、次のようなものがある。

  1. 山の石は最終的に川に流れ着く。そこでまず、川の砂をさらう。
  2. 砂を顕微鏡で観察し、目的の鉱石の破片がないか探す。
  3. 川の分岐点ごとに同じ観察を行う。
  4. どちらかの分岐に鉱石が見つからなければ、その方向を外すことができる。
  5. そうして最終的に鉱石の場所を見つけ、掘りに行く。

この手順を繰り返すことで、鉱物のありそうな山を徐々に特定していくというわけだ。
1 の「まず川から探す」という発想は素直に「へぇ」と思うが、2 以降の地道な検証の繰り返しには、プログラミングにおけるデバッグ作業と通じるものがある。

デバッグも、だいたい次のように進む。

  1. バグが発生するので、まずエラーメッセージを見る。
  2. どこかおかしい箇所を観察し、手がかりを探す。
  3. 原因はある一点にあるはずなので、周辺を調べながら少しずつ関係ないところを除外していく。
  4. そうして最後にようやく、本当の原因にたどり着き、プログラミングを直してみる。

※慣れてくるとだいたい最初から本当の原因の予想がつくので早くなったりする。

瑠璃は最初、顕微鏡なんて見ていられない、とダダをこねる。
そりゃそうである。
瑠璃はとにかく鉱物採集がやりたい、なので最初から山に行きたくなる。

初級エンジニアはとにかくプログラミングが書きたい、なので最初からソースコードを直したくなる。

しかし、6 話「その青を見つめて「瑠璃の宝石」第 6 話『その青をみつめて』予告」で瑠璃の考え方は大きく変化する。

瑠璃らはある鉱石の場所を突き止め、山を探索する。
探索の最中、長い岸壁を見つけて、そこに鉱石がないか細かく見ていく。

瑠璃「いったん他を当たってみない?ここだけに時間をかけてられないし」
伊万里「でもそれで見落としちゃったら?」
瑠璃「大丈夫だって、サファイアを見落とすはず無いでしょ」
[中略]
伊万里「見落とした場所へ確認に戻るって実はなかなか出来ないんだよ。調べたつもりになるって一番怖いことだと思う。」

まず、瑠璃の主張は、最初のクソガキと同じ人間と思えないほど正しい。
一つのところばかり見ていても、仕方がないので、一旦他を当たってみる。

しかし、罠がある。
実はそこに鉱石があってそこにしかなかった場合、他を見に行って、果たして戻ってこれるのだろうか。

とはいえ、一箇所に時間をかけていられない。
だから「調べたつもり」ではない、と実感できるまで見続けるべきなのである。
なぜなら、そこにない、というのは悪魔の証明だからだ。
悪魔の証明に打ち勝つには、自分がなしてきたことから仮初めの自信を持つしか無いのである。
その自信の程度の問題で、「つもり」を排除しろと言っている。

「つもり」を排除するツールとしては、論理的な思考/数字といった定量的にでてくる何かがある。

凪「信頼できる記録だけが私たちを正しい結論へと導くんだ。」

ここで瑠璃はそんなもんか、といった感じで終わらせる。
その日は見つからず、大学の研究室に帰る。

「様子がおかしい」と思って、瑠璃たちは顕微鏡で見てきたデータを見直してみる。

瑠璃「なんだろうこの感じ、今までなんにも思わなかったのに急に不安になってきた」
瑠璃「私は本当に信頼できる記録を、ノートを作れてたのかな」

ノートを見てみると、10 サンプル調べたはずが、9 サンプルのデータしか残っていなかった。
なので、どこかで切り捨ててしまった分岐に、本当は鉱石があった可能性が出てきた、ということである。

これはめちゃくちゃ怖い。
前提が間違っていた、ということである。

瑠璃は地道に顕微鏡を見続けたからこそ、その積み上げてきたものが砂の城でなかったか、怖くなったのだろう。

その怖さを前に「見なかったことにしよう」「この失敗を握りつぶそう」「この場所から逃げよう」となるのはよくあることである。
社会人でも事実から目をそらしたり、数字をちょろまかしたり、会社をやめてしまったりする。

しかし瑠璃はしっかりと謝り、凪と伊万里にリカバリ案を提案してもらう。
最終的に目当ての鉱物を見つける。

これで瑠璃もまた成長できたね、という感じである。

私の仕事でも、まさにこんな感じである。
凪と伊万里が年長者だから優れているのは事実として、そもそも怖さと対面していると目が眩んだりして、まともな判断が出来ないことが多い。
なので、素直さ(とか心理的安全性)が大事なのである。

とにかく「見つめる」という姿勢こそが、どんな分野でも一人前になるための第一歩だと思う。

だからこそタイトルが「その青を見つめて」なのだろう。

  • 世界を見つめて
  • 過去を見つめて
  • 自分を見つめて
    ...

なにかを見つめる。

自分自身も後から見つめて恥のない人生を歩みたい。

ではまた。