簡単な感嘆
分かったつもり
https://x.com/yamagishimadam/status/1982761661808423117
リプ欄、地獄である。
おめでとうございます。で良いのでしょうか?
おめでとうございますでいいのかな?
ここまでの道のりははるか遠くて
大変だったのでは?
俺はこの件を何も分からないが、こいつらも絶対に何も分かっていない。
分からないことをそのままにしておくのが耐えられないのかな、と思う。
とりあえずリプライで反応するだけで、分かった気になれる。
驚き屋
反応するだけで分かった気になれる、といえば驚き屋、特に最近顕著なのが AI 驚き屋である。
AI 関連の英語の論文を RT したかと思えば、次のポストで「これはやばい」というだけ。
お前に何が分かってんねん、と思っても、意外と数字を稼いでいる。
もっと悲しいのは、驚き屋の驚き屋である。
感謝屋
話は若干反れるが、なにか質問や指摘をされたときに「ありがとうございます」という人がいる。
https://x.com/kirimanjaro_eng/status/1980968802763624638
A「この数字の根拠はありますか?」
B「ありがとうございます、この数字は~~」
A「それには根拠がありません。なぜなら~~」
B「ありがとうございます、それは~~」
おそらく彼らにとって「ありがとうございます」は、
相手への言葉ではなく「これは攻撃ではない」「私は落ち着いている」という
防衛行為の一種なのだと思う。
僕なんかは、これを聞いた瞬間「もっと追い詰めてやろうか」とか思ってしまうから、意味がない。
ノイズである。
分かったつもりの病
「分かったつもり」は、単なる無知ではなく、理解の代用品としての感情である。
理解には時間がかかる。だが SNS は即時性を求める。
だから、思考の遅さを感情の速さで埋め合わせる。
「これはやばい」
「これを発見するなんてやばい」
「共感します」
「ありがとうございます」
これらはすべて、思考の不安を鎮めるための呪文である。
それを唱えることで、「自分も関わっている」「自分も分かっている」「自分は大丈夫」と思える。
実際には、ただノイズを増やしているだけなのに。
しかもその心理に漬け込んで、金を稼ぐ人がいる。
- 驚き屋を装って、単に情報商材屋を気取る
- 政治的な事実を(本当はそんな見方は間違っていると知っていてなお、)偏った目線で報じて世論をコントロールする
あまり分かったつもりになっていると、実際の被害さえ出てくる。
無知の形
「分かったつもり」を完全に捨てることは、おそらく不可能だ。
誰もが有限な情報の中で世界を理解している。
だから問題は「どのような分からなさを引き受けるか」だ。
- 分からないまま反応する
- 分からないまま沈黙する
- 分からないまま観察し続ける
理解の速度を遅くし、時間をかけて立ち止まる。
その遅さを恥じない。
結局、SNS 時代の知性とは、即時反応を我慢する力なのかもしれない。
つーか SNS なんて辞めよう。みんなで森に籠もって智慧の完成を目指そう。
では、また。